e天命塾とは


e天命塾が目指すもの

人はみな世界遺産【e天命塾】

 「すべての子どもは生まれた時は天才である。しかし1万人のうちの9999人は迂闊にも大人たちによってあっという間に凡人にされてしまう」 アメリカ思想家 バックミンスター・フラー  

 

「人はみな世界遺産」:ひとりひとりのいのちの奇跡、ひとりひとりのかけがえのない個性。それはあたかも世界遺産のように、存在そのものが尊厳である。人と違っていいというものではなく、人と違っているからこそ素晴らしい。人は誰もがそれぞれ異なる世界遺産として可能性ある命(人生)を授かっている。さあ、その命(人生)をどう生きるか、じっくりと考えてみませんか。

 

私には現在孫が3人おります。5歳から2歳。みんな輝いている。各々が持っている個性が違っている。違っているからこそいい。この子供達をみているとひとはみな世界遺産と思ってしまいます。やがてこの子らも大人になる。大人になった時にでもそれぞれの個性を生かして輝いていて欲しい。それが本来の人間の生き方なのではないでしょうか。

 

さて、大人の社会。世界のビジネスマンに関する米国ギャラップ調査(2017年)によると仕事に熱意を感じている日本人は全体の6%で、このレベルは世界で132位。仕事にやりがいを感じられていない人がなんと多いことか。国連による幸福度ランキング(2019年)では日本は56位で北欧諸国が上位を占めています。先進諸国の高校生を対象とした内閣府の統計によると「自分に満足できている度合い」は、諸外国が75〜86%であるのに対して日本は46%と異常に低い。

 

なぜこうなってしまうのか?どんな子供も幼いときは屈託のない笑顔で生き生き輝いているのに。勿論昨今の幼児虐待という酷い現実に晒される子供たちも残念ながらおられますが。

 

現在の日本、昔で言う「志」が持てないと言うレベルはおろか、大人になって夢や希望が持てない、ひいてはなんのために生きているのか分からない、という人々が昔に比べて増えているような気がしてなりません。何故なんでしょうか?

 

多くの理由が考えられますが、大きな要因として結局自分は一体何をしたいのか」が明確になっていないせいではないかと考えています。大袈裟に言えば「自分は何のために生まれて来たのだろうか」「人生の目的は何なのか」「自分の人生の役割とは何か」という問に対してもし明確な回答が持てたらどうでしょうか?友人から「あなたの夢は何?」「将来何をやりたいの?」と聞かれて「これだ!」と誰でも言える、そんな社会になればどうでしょうか?(もっとも日本では学校でも会社でも急き立てられてそんなことを考える時間も心の余裕もありませんが。)

 

私は社会人になって20代後半、あるプロジェクトチームに配属され、周りの優秀な社員の中人生で初めて「無価値観」(自分には何も専門知識がなくてチームの役に立っていない)を感じました。それまで自己肯定感が高かった自分が、自分で自分を自己否定に追いやる試練を体験しました。何故できないのか、自分はどうしたらいいのか、何のためにこの仕事をやっているのか、何のために生きているのか等など。

 

それから20年後の49歳のある日、偶然ですが、とある「生涯教育」に出会うことになります。今から思えば、劇的な出会いでした。その教えとは、人生、如何に生きるかを根本から問うものであり、人生の意味(自分が生まれてきた目的)を発見し、自他の心に揺るぎない希望と安心を育て、共生する心を育む(「人心開発」)というものです。相手に寄り添い、人生の素晴らしさを共感し合い、心からつながることでその人に笑顔が戻り、それが自分にとっての喜びとなって互いに幸せになる、そんな教えです。この教えとの出会いが、私に生きるしるべをもたらしました。

 

人には持って生まれたミッションがあると私は信じています。ミッションは創り上げるものだとおっしゃる人もいます。言葉は、使命でも、ミッションでも、志でも何でもいいです。ここでは一応「ミッション」または「天命」という言葉を用いますが、要は、世界77億人以上の人間がいようが、その人にしかない個性や資質や天分や人生の役割があると思っています。昔は靴屋の息子は靴屋、農家の息子は農家を継ぐということで志を気にすることもなかったことでしょう。しかし、民主主義や自由主義、資本主義社会の発展とともに個性という概念が尊ばれ、今や自分が夢や志を持っていた方が生きやすい社会になっている気がするのは私だけでしょうか。夢や志を持てればもっとみんなが輝いているのではないでしょうか。「志は氣の帥(すい)なり(孟子)」の如く、ミッションを発見すれば、氣のエネルギーがみなぎることを意味しています。さらに踏み込んで言えば、「心から本当にわくわくすることを成せば、結果として誰かの役に立っている」という構図にあると考えています。誰かの役にたつ、ということが先ではなく、先に来るのは自分がわくわくすることであると信じています。

 

天命という言葉ですが、特に若い方は先入観で何か宗教っぽく聞こえるかもしれませんが、どうぞ言葉の響きに囚われられないことを願います。ミッションでもいいです。誰かのために本当に私がやりたいこと、どうしてもやらずにおれないこと」、そんな意味です。全員が持っています。私にはないと思っている人、それは自分で気がついておられないだけだと思います。そんなミッション、志、天命を一緒に発見しませんか。

 

 


2つのアプローチ

 

かつての自分の試練体験から、当塾では2つのアプローチを考えています。

 

①あなたのいのちを再発見するところ:個人から個人へ

 

せっかく自分にしかないものを天から授かっているのに、気づかないまま勝手に悩んで自分の良さを活かせないと嘆いている、困っている、迷っている、助けを求めている人がどうしても放って置けない。その姿は、30歳前後の時の、まさに自分だったからです。あなたの人生、そんなことではもったいないのではないですか? これまでの長い体験で培った智慧を使って、天命の発見に役立てて欲しいと思っています。当塾では個人ベースでミッション発見のお手伝いをさせていただきます。

 

②日本の社会的課題解決に寄与するところ:個人から集団へ

 

2020年の現在、自殺(かつて年間3万人)やひきこもり(100万人以上)や登校拒否・出社拒否やうつ病という形で心の病が日本を襲い出してから20年以上。これだけ大きな社会的問題になっているにもかかわらず、根本的解決策は未だ見出されていない。当塾ではこう言う社会問題を認識しつつ、「心のあり方」「生きがい」「意識と無意識」「問題解決につながる氷山モデル」等について共に学びながら、自分から自分の周りへと共に働きかけを行えるようにできればと考えています。