総合商社でエネルギー業界に携わり数々のプロジェクト立ち上げを実現。海外の価値ある技術・サービスを目利きし、課題を抱える日本の顧客にその価値を提供し喜んでもらえることがやりがい。若い頃に仕事で悩み、長く自分探しをしたことがきっかけで後にe天命塾の結成につながる。仕事では「海外技術とサービスの新価値の目利きと創造」を、私塾では「人間としての価値の目覚め」を提供するファシリテーター。自称「図解伝道師」(難しいことを図解を駆使してわかりやすくお伝えするの意味)。仕事で出会った「システム思考」(氷山モデルで全体俯瞰する能力)を塾に取り入れている。
海外編をあえて記しているのは、日本人にとって特に海外体験というのは自分のメンタルモデル(潜在意識構造)に強烈なインパクトをもたらし、私の人生全体に大きな影響を与えたという意味で掲載しておきます。どんなインパクトや気づきや学びを得たかを中心に書いてみますね。
◯大学時代に米国大学留学(1年):初めての外国で、朝から晩まで英語だけという言語環境に浸る。大学の寮に入り2名一部屋。幸い素晴らしいルームメートに恵まれ、あれから数十年後の今も親交がある。アメリカ人の家庭にも招待され、家族の絆の強さ、敬虔なクリスチャン(毎週日曜教会)を目の当たりにした。大学の勉強は読書量が多く、授業中も発表しないと点数がもらえないなど四苦八苦。それでも友人に恵まれたと言える。毎晩のようにルームメートを含む数名からpractical joke(いたずら)をされた。例えば、夜勉強終えてベッドに入ろうしたら、氷の塊がブランケットの中とか枕に忍ばせてあり、私が驚く姿が面白いらしい。勿論、その都度私も仕返しするのだが、相手は常に複数。でも奴らに悪気はないのだ。これがアメリカ人のホスピタリテなのだと楽しむように心がけた。ここで20歳の私が学んだことを1つ言うとすれば、「一人でもどこでも生きていける」という自信(錯覚?)だったのかもしれない。
◯フランスのグランズエコール留学(1.5年):入社4年目で第二の外国であるフランス。今度は24時間フランス語の毎日。これは当初結構大変だった。パリ市内で道に迷っている日本人を見かけては、日本語を喋りたいために、大丈夫ですか?と話しかける自分がいた。グランズエコールでフランス語で国際ビジネスを学ぶ授業はついていくのが大変だった。卒論は日仏のガス会社経営比較で18/20点。26歳の私がここで学んだ最大のことは、「多様な価値観を受け入れることの大切さ」。日本人にとって、英国人やドイツ人等に比べてフランス人には当初異次元感を持った。最初他人には不親切、個人主義で自己主張が激しいように見えたが、やがてフランス人の親友ができると、彼らの哲学性、多様な価値観への受容性に気づかされることが多かった。さすが哲学の国の一つ。
◯カナダ長期出張(半年):月月火水木金金で殆どが仕事漬けで、今思えばプライベートな時間はホテルで寝るときぐらいハードだった。冬はマイナス30度!
この期間、学びはあったのだろうか?実は、今考えてもどんな学びがあったのかうまく言えないが、ただ「よく耐えたな!」と言うのが実感。
◯フランス駐在(約5年):家族4人で長期滞在。仕事は年間160日出張(欧州域内)であったが、家族旅行にはよく行った方で、欧州は殆ど全て回ったし、エジプト文明やギリシャ文明にも触れることができた。帰国時41歳。
→得たもの:「フランス人のものの考え方として、システム思考的、俯瞰的、フレームワーク的、大きな世界観、哲学的価値観」これが今の私にとっても最大の人生財産となっている。多くの日本人が持っていない、日本では教育されていないものをフランス人は持っている気がする。
■ここまで書いて思うことは、自分の潜在意識に潜む「メンタルモデル」に海外生活は強烈なインパクトを与えるものだ、と気づかされます。
<<「第8の習慣」(ステイーブン・コヴィー氏)とは、「自分のボイスを発見し、それぞれのボイスを発見するよう人を奮起させる」ことである。>> ここを読んだときは、これはまさに自分のことを言われている気がしました。
『①ミッション発見のお手伝い→②ミッション実現のお手伝い』この2つが私がやりたい・やらねばならないと感じていることです。多くの若者やシニアが、本当に何をやりたいのか探し求め、悩み続け、結果として幸福感を味わえない多くの日本人。人はみな、自分の得意なことをなすことで人とつながりができ、感謝したりされたりのつながりができる。それが生きがいとなって、幸福感の拡大を感じることができる、それが本来の人間の生き方ではないかと、伝道しつつ共感を分かち合いたいと願っています。